トマトと本

だらだら蛇足でのんべんだらり

ブログ開設しました。

 

 

自分の味気ない日常について、常日頃、理想の自分を追い求めて葛藤しては諦め、を繰り返していたのだが、自分のうちに眠るエネルギッシュな不満をそろそろ外へ提供してさしあげようかなと悪趣味なことを思い付いたので、ブログを始めることにした。

不満と言っても彼女が出来ない勉強ができないゼミ活動で他人の環には入れないといった類は標準装備なので、そこのところはご了承願いたい。

 

さて、突然ではあるが、普段皆さんは本に対してどんな印象を抱いているのだろうか。活字を読むのかその世界に入り込むのか、はたまたコレクション目的なのか、まあ学術書、雑誌、絵画・写真集、漫画、参考書。日記、小説、挙げればきりがない。

俗人にも成り上がれてすらいない私は、学術書はあまり読まない。専ら小説や雑誌である。とはいっても、趣味で読む学術系雑誌は咀嚼して読む努力はする。内容の面白さ如何は他人に説明出来ない。新聞と同じ感覚であるが。一方で意識せずとも語彙力は加速度的に増える所にヒトの脳=矛盾の等式が成り立つと言える。

 

話が脱線するときほど面白い返しや閃きが思い付く矛盾、これは嬉しい誤算である。雰囲気は読めても他人の気分は読めないもどかしさを帯びた生物が人である。赤なのになぜ青というのだろう。それは彼女には赤が青に見えたからかもしれない。ではこれより、クオリア的思考の召喚を致そう。

クオリア的排他的孤独主義ナルシシズム自己保身の化身たる私は、他人と仲間の違いが話すか放さないかだけではなく、自分の考えに拮抗した意見生き方主張を持つかどうかまでに及ぶ。

仲間では語弊がある。よき理解者とでもいえば些か読者への体裁が採れるであろう。

 

体裁を気にして読む本はただの自己啓発書に成り下がる。なりふり構わず時にはページを片手に飲み食い踊り歌い、手に汗握る展開にやきもきする、時間を気にしながらながら読むのはスケジュール帳だけで良い。十時間かけて本を読み終えた後は、現世に戻ってきたかのごとく頭がくらくらするかもしれない。

他人を理解することは、生きながら死ぬことよりもはるかに過酷である。自我の死は受験シーズンと学級会だけで充分だ。

 

日本は学歴社会である。能力主義は生まれた時からの宿命である。かくいう私も二回ほど受験戦争を経験した。合間合間に休憩だからと嘯り、ライトノベルに傾倒していた輝かしい過去がある。

皆さんもライトノベルで心をリフレッシュしてみてはいかがだろうか

 

……と、まあ、こんな感じでくだらない余太話、日々つらつらとトピックを限定せずに出来たらいいなあと思います。

 

あ、もう2017年もあと半年ですねえ。一日は過ぎても気に留めなけりゃあっという間です。この半年とかほぼほぼ印象に残ってないなあ。強いて言えば、酒を自分から飲むようになったってことぐらいかな?(専ら発泡酒

彼女は画面上で事足りてるかなあ。毎日がハーレム日和で幸せです(涙目)

ダブルミーニング

 

んじゃ、これで一回目の投稿は終わりってことで。